2004年1月31日(土曜日) 朝日新聞(夕刊)
車椅子バスケ
新たな希望に

 タイヤが焦げるにおい。車椅子同士がぶつかり合う金属音。
倒れる選手たち。その激しさから「格闘技」ともいわれる車椅子バスケに出会い、一度は投げかけに人生に生きる希望を見出した青年がいる。バイク事故で下半身不随になった川崎市のじんむら神村浩平さん(20)。神村さんをモデルにした映画も作られ、各地で自主上映が計画されている。
 16歳になったばかりだった。00年1月28日。乗っていた50ccバイクに、横から車が突っ込んできた。気がつくと、病院だった。
 足の感覚がない。友人と組むバンドのライブを4月に控えた神村さんは「リハビリして早く帰りたい」と医師に言った。
背骨を粉砕骨折、脊髄が傷つき、腹筋も背筋も動かせず、胸から下はまひ、車椅子でしか生活できないと言われた。
 「人生終わった」。何も考えられなかった。
何とか車椅子に乗れるようになり、01年6月から復学した。排泄は時間を見計らって自分で導尿しなければならない。だが、時には漏らした。父親の貢二さん(50)は息子のふさぎ込む姿が痛々しかった、と振り返る。
 そんなとき、車椅子バスケを描いた漫画「リアル」のモデルになった人と知り合う。練習を見に行った。ただ「格好いい」と思った。
 高3の春から車椅子バスケを始めた。最初はシュートしても、全く届かない。それでも、「自分の居場所ができたのがうれしかった」。
 車椅子バスケは障害の重い方から1から4.5点までも地点があり、試合中の5人の合計が14点を超えてはいけない。神村さんは最も障害が重い1点。しかも最年少。貴重な存在だ。障害を持ちながら、社会で働き、明るく生きる年上の人たちと練習し、世界も広がった。
 いまは車の免許を取り、専門学校に通いながら、東京都内の「ノー・エクスキューズ」に所属する。練習は週4回、週末は試合。空いている日は英会話や筋力トレーニングに通う。米国へも遠征し、看護師の恋人もできた。今春から家電メーカーに勤める。
 バスケに出会って人生が変わったという。けがしてなかったらダラダラ生活して、こんなに毎日充実していなかったかもしれないと思う。「とにかく、うまくなりたいんだ」と力を込めた。

 神村さんがモデルとなった映画「ウィニング・パス」は独立プロダクションによる制作。プロデューサーが取材の途中で神村さんに出会い、その姿に心動かされた。東京都目黒区の恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館ホールで上映中(2月22日まで)。会場はバリアフリー。問い合わせは上映事務局(03−5385−5303)へ。

 
Copyright (C) 2000 EMINECROSS MEDICAL CENTER. All Rights Reserved