母校を語る
“生活”や“スポーツ”を処方
「北理研究所病院で週2回のスポーツクリニックでは、ただ単に検査して薬を処方するだけでなく、その人にあった“スポーツ”や“生活”を処方する診察を心がけています。それから、自らが創立したエミネクロスメディカルセンターでは、人のQuality of Life(QOL)に役立つ新しいかたちの医療活動を行っています。病気になってから治療するのではなく、病気にならないですむ医療、また、より元気にする医療です。その人の人生の質を高めるために、生き方、考え方をサポートしていきたいと思っています」
.●具体的にどういった活動をしておられるのですか。
「南青山にあるオフィスで、活動しています。また、患者を診ているだけでなく、外に出て講演したり、スポーツキャンプを開いたりして、こちらから積極的に呼びかけています。企業チームのドクターも務めているので、試合に帯同したり、学生チームの合宿に参加したりと忙しくやっています。近年、スポーツは勝ち負けでとらえられてしまっている傾向があり、つねに、苦しみがつきまとい、根性が必要とみられています。しかし、本来スポーツとは、コミュニケーションであり、教育であり、芸術であり、医療であるはずなのです。これを満たしてこそスポーツなのです。
今、エミネクロスで最も力を入れている事業のひとつが、楽しみながらできるスポーツワールドズを築くということです」
日曜日は家族と
「豊かな人間性を育むための子どもたちのチーム、社会力があり子ともたちの模範になれるようなトップ選手を集めたチーム、老若勇女を問わずどんな人でも楽しめるチーム、そして、障害者チームのバスケットボールチーム4団体と、彼らを応援するチアリーダーたちを含めた5団体の運営・活動を支援しています」
●それだけ手がけていると、毎目大忙しではないですか。
「医療活動のほかに、毎月、雑誌やホームページの連載原稿が七つあり、書籍も3冊執筆中なので、帰宅は終電になってしまいますね。ですから、小学校3年生の長女と、年少の次女との時間を作るのにもっとも苦労しています。夜はどうしても子どもたちの起きている時間には帰れないので、朝、眠い眼をこすって早起きし、子どもたちが学校や幼稚圃に行く前に話をするようにしています。少しでも娘たちと話す時間がほしいですからね。家内には迷惑ばかりかけて感謝しています。講演や試合などがない限りは、日曜日は家族と過ごすようにしています」
●内科医でありながら、メンタルトレーニングも施されているそうですが。
「じつは心理学の方は私の未経験分野だったんです。29歳の時に慶応大学バスケットボール部のチームドクターを任されたんです。その頃はスポーツとは無関係の医療に携わっていましたから、任されたとはいいながら、結局、何も還元できなかったんです。それを契機に、何かできることはないだろうかと模索しました。とりあえず体力測定とか、トレーニングメニューを考えたり、栄養のアドバイスをしたり。でも、体力測定は器具がないとできませんよね。体脂肪計で体脂肪率を計ったり、サイベックスで筋力測定したり。つまり器具頼りなんです。そのときに『器具がなくても、自分さえいれば選手のためになるようになりたい』と考えたんです。
しかし、心理学の部分は未知。困ったなあと思っているときに、たまたまアメリカの水泳メンタルトレーナー・キースベル氏の著書と出会い、『試含のためのメンタルトレーニングというものは、じつは普段のものの考え方、生き方が大切なんだ』ということに気づかされたんです、そのとき、これなら自分でもできると思いました。ですから、私の場合はメンタルトレーニングというよりも、普段の生活での心の習慣作りのようなものなんです」
●心の習慣作りのために大切なことをいくつか教えていただけますか。
「そうですね。例えばスポーツをやっていますとライバルを敵視してしまいますよね。ついついライバルの失敗を願ってしまうものです。でも、そうではなくてライバルを応援してみてはどうでしょうか。お互いを励まし尊重しあうことが、必ず良い緒果につながるものです。他に"怒り"の感情をコントロールすること、休養をとること、良いところを見ることの大切さや、不安はどこからくるのか、などといったことを昨年執筆した『スラムダンク勝利学』)のなかで紹介しています。また、来春、出版予定の『人のためになる生き方』では、両親がどのように子どものためになっていけるかなどをアドバイスしています。ぜひ目を通していただきたいと思います」
●医師になろうと思ったのはどうしてですか
「栄光学園の高校3年までは物理が好きでした、エネルギー間題などについて勉強することは人間や地球のために働けることだと、京郡大学の理学部に行きたいと思っていました。でも、なぜだかフっと現実的になって、『エネルギーの問題を研究したところで将来何になれるんだろうか』と疑問を持ったんです。それに、そこまで自分の頭が良いとは思えなかったですし(笑)。
そんな時に頭に浮かんだのが“医者”でした。実家は先祖代々が医者で、私で14代目なんです。かれこれ400年ほど医者をしている家系なんです。親父も東海大学で移植学の教授をしていましたから、そういう背中を見て、『まあ、医者にでもなろうかなあ』と、そんな軽い感じでしたね。
で、大学を選ぶ時になって、これがまた安易な考えなんですが、『医学部にいながらもバスケット部に入ってインカレ(全国大会)に出場したい』と考えたのです(笑)。筑波大学なんかもあったんですが、まあ筑波大だと強すぎて自分が試合に出られない可能性もあるし。色々な条件からみて北海道大学がピタリと当てはまって、それで受験したんです。ですから、大学時代は全然勉強もせずに、バスケットばつかりやっていました。緒局、インカレにも出場できましたし、いまはそういったスポーツ関係の医療をしているわけですから、それはそれで良かったんでしょうね」
●学校の成績はいかがでしたか。
「いやあ、小学校4年生までは全然勉強もしなくて。まあ並って感じでした。それが小学校5、6年の間、父の仕事の関係で関西の学校に転校したんです。そのとき入った塾がすごいスパルタ教育で、毎日泣いていました。だって、全然わからないんですから。でも、向上心はあったんでしょうね。もう悔しくて悔しくて、自分から両親に家庭教師をつけてくれるよう頼んで、それからは一生懸命勉強しました。今までの人生で一番勉強した2年間でしたよ。それで、みるみると成績が上がっていって。問題も解けるようになるとうれしいもので、さらにやる気も出てくるんです。いま思うと、この時に、一生懸命やれば必ず夢がかなう』という思いができた気がします。今思うと当時の空の色が一番青かったですね」
●栄光学園を志望された理由は何でしたか?
「当時は関西にいたので灘中か甲陽中を受けようとしていたんですが、父の仕事の都合で東京に戻ることになってしまったんです。東京の事情をまったく知らなかったものですから、神戸の六甲中にいた知り合いの先生に関東の学校を紹介してもらいました。それが六甲中の兄弟校で同じカトリック系の栄光学園だったんです。当時の校長、グスタフ・フォス先生はカトリックの教育者として有名な方だったらしいんです」
●どんな中学、高校生活でしたか。
「入学していきなり勉強しなくなりました。バスケット部に入っていたんですが、とくに熱中しているわけでもなく、何もしないということにのめり込んでいたようです(笑)。
でも、ある日、陸上部の伊東学君という友だちと『このままじゃいけないよな』と話をしたんです。それで、彼と一緒に『やるだけやってみよう』と言って、また勉強し出したんです。最初の頃はなかなか成績が上がらず、落ち込みましたが、頑張り続けたら少しずつ成績が上がってきました。180人中、50番ぐらいまで止がって、高校に入る頃には30番ぐらいまでいきました。当時の栄光は、だいたい60人ぐらいは東大に行きましたからね、、30番といったら、なかなかだったんですよ。
●印象に残っている授業はありますか
「体を動かすことが好きだったので、やはり体育が好きでした。できるところを、うまくほめてくれる先生で、スポーツの素晴らしさを教わりました。見た目も加山雄三みたいな迫先生、かっこよかったですよ。それから、高校2、3年の担任・金子好光先生の化学の授業が好きでした。物理とか化学は理論通りにことが運ぶからいいんです。それに引きかえ国語が大嫌いでした。学年でビリを争っていた記憶があります。それなのに、いまは本まで書いていますから、たまのクラス会などで同級生に会った時には『あんなに国語がダメだったおまえの本なんて誰が買うんだ』とよく笑われます」
●教育方針はどうでしたか。
「完全な中高一貫教育だし、一学年の人数も少ないし、学校の雰囲気はアットホームでした。教育方針は、細かいなかにも、自由があったと思います。大学受験に関しても、とくに強いサポートがあったわけではありませんでした。
皆それぞれが決めた大学に、入っていくという感じ。奇想天外な生徒よりも、真面目で一生懸命な生徒が多かったと思います。その頃から自分はおとなしいより目立ちやすいタイプでした。成績表は得点でついていました、86点とか73点とかいうように。それから、よく覚えているのが、真冬でもどんな時でも2時間目と3時間目の間に上半身素っ裸で体操をするんです。これがイヤでイヤでしかたなったのを覚えています、あれ、今でもやっているのかなあ」
●栄光学園で講演をされたそうですね。
「今年に入って2回やらせていただきました。1回目は6月の記念祭(文化祭)で特別OB講演なるものを。2回目は7月に栄光学園の全教員の研修会という名目で講演させていただきました。とても光栄に思っています。
記念祭の時には私と同期の28期生がたくさん来てくれて、うれしかったです。栄光学園のアットホームな面を再確認できた気がします。何事も過ぎ去ってから気づくものなんですね。
そうそう、私は授業中にいつもオシャベリをしていて怒られていました。でもいまだにカウンセリングしたり講演会したりとしゃべり続けているような気がします(笑)」
●本当にいつも精カ的な活動をされておられますが、パワーの源は何ですか。
「人が元気づいてくれることがうれしいんです。つまり、人間がとても好きなんです。この仕事は色々な人と出会うことができる仕事。だから飽きないんでしょうね。“好きこそものの上手なれ”とは良く言ったものですよね」
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